父の命日
- 2020/05/16
- 16:15
5月16日(土)は私の父の命日である。
私がふるさとに戻って7回目の祥月命日。
その法要は母のマンションで行われた。
約束の時間より1時間遅れで始まった。
昨日からの雨が前の法要を遅らせたためだという。
母、妹、私の3人が頭を下げ、坊主の経を追う。
コロナのことがあって、茶を飲まない。
私たちに流行り病をうつしたくないのだという。
父が亡くなったのは1983年である。
難しい長い名前の病気でなくなった。
私は東京にいた。
翌日のジェットでふるさとに帰り、亡くなった父をみた。
あの悲しみの日々から37年もの歳月が経った。
二人の子供を授かった。
東京で生き続けると思っていたのだが、生き方が大きく変わった。
山梨でのシンクタンク生活。
栃木での大学教員生活。
青森での大学院教員の生活。
ふるさと佐世保での市役所生活。
そして、再び大学。
それにハウステンボスの住居。
坊主の経読みに従いながらの経の文字を読む。
何も考えない。
わずかの時間。
これがいつもの祥月命日である。
5年前の33回忌法要とは違う。
佐世保で生活する身内だけでことが運ぶ。
それにしてもこの37年はいい歳月だった。
母も生きている。
耳が少しだけ遠くなったが、人並みの生活だと自認している。
私も反省すべきことは少なくないが、軌道を大きく外さずに生きた。
父に守られている。
そんな風に思うこともある。
徐々に先細りになる。
そんな人生を想う。
父の祥月命日とはそんな日でもある。
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