23年前を思い出している
- 2020/03/10
- 21:34
48歳の抵抗だった。
あの石川達三の作品と同じだった。
東京を飛び出したかった。
それまでの20数年を東京で働いていた。
出向もしたが、新宿の三井ビルだった。
仕事が重なっていた。
原稿の依頼も講演もあった。
アルバイト収入の預金がたまっていた。
楽しくなかったわけではない。
私の東京脱出に反対する職場の上司。
東京を出ると所得が減る。
地方は東京ほどのアルバイトはない。
講演しても金額は受け取れない。
1歳下の上司が言っていた。
そんな東京に別れを告げた。
1998年3月。
その年の4月にJR八王子駅から山梨に向かった。
八王子から甲府まで約100キロ。
甲府が最初の地方だった。
18歳で東京に行き、大学と仕事。
ふるさとを出て30年が経っていた。
それから4年目に宇都宮に異動した。
東京を出る時に決まっていた仕事。
21世紀の始まりとともに、新たな地方で働き始めた。
6年の時間が経った。
「作新米」というコメ作り。
地域の歯車と私の歯車がかみ合っている。
そんな思いがしていた。
ここでは7年目に異動がやってきた。
青森県弘前市。
四季の変化がはっきりした地域。
岩木山が守り神のまちだった。
言葉がわかない。
それでも社会的信用ができている。
そんな確信があった。
心の綺麗な人ばかりだった。
終わりがきた。
7年が経っていた。
ありがたいことに、ふるさと佐世保に戻ることになった。
みんなが佐世保のひと。
すべてが佐世保。
そして、この3月末で6年が経つ。
48歳の抵抗。
それがなければ、これまで23年の経験はない。
あったにしても、これほど豊かなことになっていない。
いい年になった。
「老いること」がわからない。
そんなことを言っているが、終わりは必ず来る。
社会のために生きる。
ふるさとのために動く。
しっかりと、淡々と。
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